臆病だけど、素直で心優しく争いを好まない。野生のシカの特徴だ。
街からほんの少し山に入った小さな河原で野生のシカが草を食んでいた。僕がゆっくり近づいてゆくと、シカは常に一定の距離を保って警戒しながら草を食む。僕は根気よくその様子を眺め、シカをカメラに収めていく。そのうちシカは少しずつ警戒を緩め、僕の存在を許容してくれるのが感じられる。時々こちらを見るがその眼はとても優しく、もう僕から危険を感じていないようだ。そのシカは僕の前で1時間くらい草を食んでから山に帰って行った。
近年、都市近郊でも野生のシカが増えている。温暖化で冬に餓死するシカが減少し、山の中だけでは生活領域が不足しているのだ。植林された林ではシカの食害が問題になり、山奥の原生林もシカによって破壊されてきている。このまま放置すればシカは年々増え続け、自然の生態系はバランスを失いどんどん破壊されてゆくことだろう。シカは生きてゆくために草や樹皮をたべているが、決して自然を破壊したりしたくはないだろう。人はそこで狩猟によってシカの個体数を調整し、自然のバランスを回復させる可能性を考える。それは実に合理的で適切な対処かもしれない。
僕たちは自然林を破壊し杉や檜をせっせと植え、鳥や動物の棲むことのできない、まるで死んだようなひっそりとした森をたくさん作り、それを賞賛してきた。それを行った人々は家族思いで孫の代までの幸せを祈り、優しく愛情を持って杉や檜を植えたのだ。一生懸命働く働き者ほど広大な土地の自然を破壊し、野生の土地を奪っていった。彼らにとってそれは賞賛されるべき素晴らしいことではあっても、非難されるようなことでは決してなかった。
僕たちは今、まともな価格の付かないどうしようもない杉や檜の森をたくさん抱え、シカを食べるためではなく個体調整のために殺す必要に迫られている。一体誰が悪いのだろう。どこで間違ってしまったのだろう。
家族を愛する人が森を破壊し、自然を愛する人がシカを殺す。
個々の部分を見たとき、より豊かになるため、自然を守るためには仕方なかったと言えるかもしれない。しかしそこに僕は何か割り切れないものを感じてしまう。
この状況に植林された杉や檜、増えすぎたシカたちは困惑しているように感じるのだ。
すべては人間に原因があるのだ。植林はもちろん、温暖化によるシカの増加もやはり人間の活動が原因なのだ。どんな奥地の原生林であれ、現在の地球では人間の活動と切り離しては存在していないのだ。そして多くはそのためにバランスを崩してしまっている。
僕たちは人間の世界という枠に収まっている存在ではない。僕たちの身の振り方で地球の生命はあらゆる可能性へと進むことが考えられるのだ。たとえ核で汚染されたとしても、新たな生命が地球上では存在してゆくことだろう。しかしこの地球で僕たちも仲間の一員として存在し続けることを望むなら、僕たちはもっともっと成長する必要がある。
すべてのものを包み込むような慈愛を持つ存在になれるよう・・・
そのように成長できたとき、人間の組み込まれた地球の生態系として僕たちは新たな法則で存在する愛に満ちた地球を経験することになるだろう。