2009年1月11日日曜日

新たな世界へ

昨日、ブータンを旅する番組を見た。チベット仏教を国教とするブータンでは国王が経済発展より人々の幸せを大切にする指標を唱え実践している。近代化の必要性は認めながらも西洋化や物質主義に陥らずブータンの文化や伝統に根ざした精神的な生き方の価値をしっかり認識しているのだ。そのなかで一般的な国力の指標となるGDP(国民総生産)ではなく国民総幸福こそ追求されるべき大切なことと国王は話し、国民もそんな国王をとても慕い尊敬している。前国王はそれまでの王制から民主的な政府を選挙で作るよう指示し、首相以下政府が組織されたところで王位を息子に譲り引退した。新国王は戴冠式でブータンに住む動物たちの代表の挨拶を受け、その後姿を消したかと思うと会場の民衆のなかで自分もともに祭典を楽しんでいた。戴冠後の国民への挨拶では「自分は王位にある間、決して支配者のような振る舞いはしない。親に仕えるように国民に仕える。」と話した。
僕たちにとってこれらの言葉や国の在り方はいつからか途方もなく遠い出来事のようにしか感じられなくなってしまったのではないか。
貧しいけれど誰かが飢えたまま放っておかれることのない、自分より人の幸せを大切にする優しさと思いやりのある社会。
僕たちの社会が失ったのは単なる優しさや思いやりなのだろうか?
西洋化のなかで僕たちが得たもの、それは物質的な豊かさであり現実世界での経済大国としての存在感だ。
西洋化のなかで僕たちが捨てたもの、それは精神性であり心や魂の深みで世界を見つめ生きてゆく人間の本質に関わるものだろう。
ブータンで人々が心豊かに生きているのは人はいずれ死ぬがそれで終わりではない、来世があり、再び人々とともによい人生を生きることができる。そのときのためにも人とともに心豊かに生きようという信仰があるのだ。そのためブータンには墓がないそうだ。49日で人は再び生まれ変わる。それなのに墓など何の用があるのだ。
永遠に残る石の墓を作り、死を絶対的な悪として忌み嫌う西洋の価値観・・・。
現在の金融危機も少し前の石油や食料の高騰もすべて死を忌み嫌う、死をすべての終わりとする世界観がその原因として根底にあるのではないか。

僕たちはブータンのような世界に戻る必要はない。
僕たちに必要なのは今までの西洋的な価値観やすでに捨ててしまった東洋の伝統を超え、そのすべてを内包する新たな世界の文明を築き上げることだ。